金曜日, 03.09.2010 09:35
 
 

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マティアス・ホルクスに13の質問

「メディアのこれからと、これからのメディア」

20年後のインターネットは、どこにでもあるがどこにもない「オムニネット(万人が利用できるネット)」に、つまりあらゆるコンテンツが走るプラットフォームになっているだろう。

インタビュアー:マルティン・オルト

情報社会は、ますます全体の見通しがつきにくくなってきました。次から次へと多くの新技術が、新たな情報源を開拓しています。ホルクスさんご自身は、日ごろ、どんなメディアを利用されていますか。

20世紀に子供時代・青年時代を過ごした人間ですから、私はもちろん“アナロギスト”で、本や雑誌などの印刷物が大好きです。しかし、コンピューターとともに育った私の息子たちもそれは同じです。私はまた、メディアの“マルチ中毒者”ですから、四角いモニターであれ、手でつかめる昔ながらの本であれ、あらゆるボードを使って四六時中、メディアをサーフィンしていますよ。子供たちとオンラインゲームをすることもありますから、ほかのひとより少し変わった角度からデジタル世界を見ているかもしれません。かなり楽しめる世界とは言えますが、何を見ても「西欧の没落」と怯えてしまうような年配の、不安神経症のひと向きではない時代でしょう。

ニューメディアは多くのことを簡略化しスピーディーにしましたが、反面、「社会的孤立」といった現象を生み出しました。メディアとのつき合い方は、学ぶ必要があるのでしょうか。

「メディアによる孤立化」という発想は、ナンセンスです。昔、まだ電話がなかった時代に山里や谷あいに住んでいたひとたちは確かに孤立していました。今日では、ノイローゼや鬱病にかかっているため孤独であるようなひとたちも一部にはいるでしょう。しかし全体的に見れば、がらくた情報を伝えるにせよ正確・詳細な情報を伝えるにせよ、メディアは人間を社会の大きな流れにつないでくれます。もちろん、新メディアをマスターするには少し時間がかかりますが、そんなに面倒でもありません。読み書きの勉強にどんなに時間がかかったか、思い出してみてください。それに比べれば電子メディアの操作は、コツさえつかめば後はすいすい覚えられますよ。とはいえ、インターネットの社会性と知識源という性格を、誰もが理解して活用しているかといえばそうではなく、ネットをせいぜい参考書程度にしか考えない受身の利用者がまだたくさんいます。結局は、教育の問題でしょう。教養があり、好奇心旺盛で、上昇志向の強いひとは、ニューメディアも有効に利用しています。

若いひとは新聞を読みたがらないし、中高年齢層はインターネットで社会的なネットワークを築くのが苦手。ということで、メディアによって社会が二分されたり、社会の個人主義化が進む、ということはありませんか。

後におっしゃったことは、大歓迎です。私にとって、個人主義化は積極的な概念だからです。私たちはみな、ひととは違う、自らの人格を発展させていく個人でありたいと思っているのではありませんか。そして、どんなメディアも結局はこの目的に役立つのではないでしょうか。多くの調査から分かるように、テレビのメロドラマにも教訓的な、個人の解放を促すような面があります。あのテレビの連続ドラマ『リンデンシュトラーセ』を数十年も見続けたひとは、社会にはいろいろなひとの様ざまな生活があることや、寛容、博愛といったことも学んでいます。それから、中年のひとたちも目下、インターネットの利用では急速に遅れを取り戻していますよ。

毎朝、新聞を読んだり、誰かと一緒にサッカーを見る、といった社会的儀式も、メディア環境の変化に影響を受けていませんか?

どちらとも言えませんね。誰かと一緒にサッカーを見るのは、われわれの遺伝子に「群れ体験」が深く刻みこまれているからです。ヒトはおそらく、太陽が冷たくなるまでそれを止めません。それは、ひとつのセレモニーなのです。毎朝、新聞を読むのも、とくに男性にとっては朝食のテーブルで会話に加わらない理由になる、やはりひとつのセレモニーでした。新聞は情報を与える以外に、寝起きが悪いひとの防御壁になったり、カフェや空港のような公共空間で人目を遮断する“コクーニング(繭ごもり)”の繭のような役割も果たしたりしています。もしも紙の新聞がなくなれば、その代用物が必ず発明されるでしょう。例えば、衝立やベールとして利用できる、しなやかで折り曲げられる大きなコンピュータースクリーンといった……。

新メディアは既成メディアを押しのける、と言われています。20年後の「メディア・ミックス」はどうなっているとお考えですか。

新メディアが旧メディアを完全に押しのけることは滅多にありません。大抵は、新が旧を補足し、新しいメディア・ミックスが生まれてきます。テレビが登場したとき、映画は滅びるといわれましたが、その伝でいけばインターネットはとっくにテレビも映画も滅ぼしてしまったはず。ばかげています。20年後にはインターネットは、どこにでもあるがどこにもない「オムニネット(万人が利用できるネット)」に、つまりありとあらゆるコンテンツが走るプラットフォームになっているでしょう。一方で端末機の多様化は、これからさらに進むでしょう。本や雑誌はなくならないし、いまよりもっと美しく、豪華で、良い匂いのするものになっているかもしれませんし、紙のように薄くてたためるモニターも出てくるでしょう。ただ決定的な問題点は、そのときまでにわれわれの認識能力がどれだけ発達しているか、ということです。

あなたは「デジタル・バックラッシュ」、つまりインターネット熱への反動が起こると、予言されています。その根拠は? それはもう起きているのか、どんな影響を及ぼすのか、という点はいかがでしょうか。

反動は毎日のように起こっています。インターネットの利用者数は、90年代に予想されたほど多くはないのですから。いま、かなりのひとが、映像と音響の氾濫に拒絶反応を起こしていて、もとのように直接見たり触ったりできる、個人的な、リアルタイムの体験に注意を向けるようになってきている、つまり微妙なオフライン化の風潮が現われています。ネットは期待したほどのものではなかった、というわけです。また、教育が不十分だったり、ネットを利用するためのソーシャルスキル(社会的技能)が身についていないために、インターネットをどう扱ってよいか分からない、というひともわが国にはまだ多数います。知識メディアであるインターネットの本来の能力は、われわれがネットワーク的に思考し、問いを投げ、意思疎通を図り、働かない限り、存分に発揮されません。

逆に言えば、従来メディアがカムバックしたということですね。

インターネットはすでに新聞を変えており、新聞記事は短く、簡潔に、またしばしば質的にも向上しています。無意味な、余計なメディアは根絶やしにされ、他のメディアは変えられるという具合に、ネットは淘汰の機能を果たしています。

印刷媒体を見てみましょう。その強みはどこにあるのか。将来、これはどのようになっていくのでしょうか。

「印刷媒体」という言葉は、将来、意味をなさなくなると思います。「プリントメディア」というものはもうなくなり、あるのは、内容、品質、世界観、イデオロギーなどの点で他と区別される、いくつかのブランド力をもつメディアだけとなるでしょう。アメリカの『Wired』のような雑誌は、もうすでに様ざまなメディアチャンネルで売られるメディア商品となっており、新聞も徐々にそういった方向に進むはずです。ですから、将来『Spiegel(シュピーゲル)』といえば、印刷物、携帯電話、また家ではモニターで読める、ある一定の「世界観」ということになります。印刷しかされないメディアは、非常に孤独なメディアです。

コンテンツ提供者の事業モデルは、将来どうなるでしょうか。

極めて多様なモデルが生まれてきます。いくつかの企業は、これまで通り情報の質が高いコンテンツで利益を上げているでしょう。他の企業は、ひととひとをつなぐ社会的役割を実現し、クラブ・モデルやフリーミアム・モデルといった、サービスの基本部分は無料、追加部分は有料で提供するというビジネスモデルで、商売しているでしょう。そして、それ以外のコンテンツ提供者は、コンテンツだけではやっていけないので、サービスと“アクセス権”の提供に力を入れるようになるでしょう。例えば、地方新聞が新聞のほかに電気、水道水を売ったり、顧客に信用供与も行う総合的な“サービスプロバイダー”に発展したり、ということもあり得ます。

予想とは裏腹に、ラジオがメディア環境の変化のなかで目覚しく健闘しています。何故でしょうか。

ラジオはシンプルで、操作が簡単です。いまのラジオ人気は、見通しのつかないメディア・ジャングルに抵抗するレトロなトレンド、といえるでしょう。ラジオは自分に話しかけてくれます。これは、なんといっても心地いいですからね。

メディアの利用に関して、他の国々と比べてとくにドイツ的といえることは。

とくにありません。ただ、ドイツ人は他の国民より興奮しやすいし、新しいものをまず否定的な目で見るという傾向があります。しかし、いったんその良さを理解すると実に忠実なファンになります。

SF映画ではよく、今日の様ざまな現象に基づいて明日の世界を予想しますが、未来研究の場合はどうなのでしょうか。ホルクスさんは、どのようにして知見を得るのですか。

粘り強い調査と、モデルの継続的な修正、によってです。もちろん、われわれも未来を予想するときには現状を未来に投影するわけですが、そのやり方が問題です。これからの研究者は、これまでよりも巧妙、かつきめ細かなやり方で研究していかねばなりません。

将来のメディア環境では、いま使っているツールも大きく変わるのでしょうか。

例えば、このインタビューはメールというツールを使ってやっていますが、将来は、これにインタラクティブな対話機能がつくようになるでしょう。そうなれば、「この点をどう思いますか」とか「その質問を思いつかれた理由は」などと、私の方からもあなたに質問したりしながらインタビューを進められますね。

08.12.2009
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